沈んで掴む幸運の木
十代の頃から手仕事始め。まだデザインという言葉は姿も無く、「意匠」とか「図案」と呼んでいた。描く、切る、貼る、文字は活字を拾う。パソコンなど影も形も無し…殆どグーテンベルグの時代そのままだった。原稿はコピーなしの一点のみ、仕上げた作品も生一点の貴重品。電車で届ける時は膝に抱えよ「網棚に乗せるなかれ」が鉄則。来る仕事は不安でも受ける。それが小さな工房の掟。
デザイナーと呼ばれても、所詮は幇間芸。いっそ、昼間は仕事と割り算で、夜は寝る間を削り画架に向かう二足草鞋の丁半賭博。祟るぞなもし…嗚呼見事「腱鞘炎」のご利益。頼みもせぬに全自動で震えやがる。気づいた時はもう遅い。筆を持てないカナリアは瀬戸の海辺に捨てませう。いえいえそれはかわいそう。絶望の淵なんて、大袈裟だねぇ。
だが、沈む神あれば、浮かぶ神あり。波間に漂う一片の木…「汝これを彫るべし」…「筆を鑿に変えよ」」とのご神託。これがリハビリにぴたり、まさに天職とはこの事。鑿を木に当てる時、少し迷うが、後はゆくゆく「樹木の理」に従い彫ればよい。彫って、ほって、また、彫って…卒業ののち彼岸に渡りて、彼の君を彫らむ。君の名は「閻魔大王」と申し奉るなり。
沈んで掴む幸運の木
十代の頃から手仕事始め。まだデザインという言葉は姿も無く、「意匠」とか「図案」と呼んでいた。描く、切る、貼る、文字は活字を拾う。パソコンなど影も形も無し…殆どグーテンベルグの時代そのままだった。原稿はコピーなしの一点のみ、仕上げた作品も生一点の貴重品。電車で届ける時は膝に抱えよ「網棚に乗せるなかれ」が鉄則。来る仕事は不安でも受ける。それが小さな工房の掟。
デザイナーと呼ばれても、所詮は幇間芸。いっそ、昼間は仕事と割り算で、夜は寝る間を削り画架に向かう二足草鞋の丁半賭博。祟るぞなもし…嗚呼見事「腱鞘炎」のご利益。頼みもせぬに全自動で震えやがる。気づいた時はもう遅い。筆を持てないカナリアは瀬戸の海辺に捨てませう。いえいえそれはかわいそう。絶望の淵なんて、大袈裟だねぇ。
だが、沈む神あれば、浮かぶ神あり。波間に漂う一片の木…「汝これを彫るべし」…「筆を鑿に変えよ」」とのご神託。これがリハビリにぴたり、まさに天職とはこの事。鑿を木に当てる時、少し迷うが、後はゆくゆく「樹木の理」に従い彫ればよい。彫って、ほって、また、彫って…卒業ののち彼岸に渡りて、彼の君を彫らむ。君の名は「閻魔大王」と申し奉るなり。
不忘百八……先人の足跡
多くの先人たちの中でも、何となく気になる足跡がある。私にとっては、「玄奘三蔵」もその一人。「西遊記」でお馴染みだが、ここでは孫悟空の引き立て役で影が薄い。実在の玄奘三蔵は、屈強の美丈夫、学問言語に通じ、巧みな交渉術に長けたひと、とある。僧としての名声は中国近隣まで知られていたという。
中国本土の仏説の乱れを憂い「釈迦聖地」巡礼を思い立つ。釈迦の聲をじかに聴こうという旅。聖地訪問、経典を原語で学び、竹簡に書写……それを持ち帰った。この間に実に十七年。並みの忍耐ではない。砂漠に残された苦難の足跡は、翌朝には美しい風紋と化すが、そのひとの仕事は残る。だから、今でも「除夜の鐘は百八」打つ。先人の足跡を忘れないようにとの思いを込めて…「不忘百八」。
これは「兔三蔵取経旅」という作品。「あんたの木偶は講釈が長い」とのご評を賜ることがある。こんなもの彫刻芸術にあらずと。だってしょうがないじゃない。物語のない絵や彫刻なんて、やるんだったら、俺、寝てたほうがマシだもの。
沈んで掴む幸運の木
多くの先人たちの中でも、何となく気になる足跡がある。私にとっては、「玄奘三蔵」もその一人。「西遊記」でお馴染みだが、ここでは孫悟空の引き立て役で影が薄い。実在の玄奘三蔵は、屈強の美丈夫、学問言語に通じ、巧みな交渉術に長けたひと、とある。僧としての名声は中国近隣まで知られていたという。
中国本土の仏説の乱れを憂い「釈迦聖地」巡礼を思い立つ。釈迦の聲をじかに聴こうという旅。聖地訪問、経典を原語で学び、竹簡に書写……それを持ち帰った。この間に実に十七年。並みの忍耐ではない。砂漠に残された苦難の足跡は、翌朝には美しい風紋と化すが、そのひとの仕事は残る。だから、今でも「除夜の鐘は百八」打つ。先人の足跡を忘れないようにとの思いを込めて…「不忘百八」。
これは「兔三蔵取経旅」という作品。「あんたの木偶は講釈が長い」とのご評を賜ることがある。こんなもの彫刻芸術にあらずと。だってしょうがないじゃない。物語のない絵や彫刻なんて、やるんだったら、俺、寝てたほうがマシだもの。
作品 WORKS
Shodoji Kobo