笑童子工房日記
鍋倉孝二郎 1942-
私の祖父は、壮年期に失明した。若い頃は植林に励み、ちょっとした田舎の山林王。自分の山々を鮮明に記憶していて、私に手引きさせて山歩きをした。そこを右、谷川があるだろう。木橋を渡ったら右の坂を上る…まるで見えるかのように道順を指示をした。尾根に着くと、大きく育った杉の根方に座る。まるで眼下に広がる杉林が見えるかのように、その境界を指さす。
ある時、杉の根方に並んで座ると、私の眉間を指で探り、人差し指を当てて「人間はな、もともとは、三つ目なんじゃよ」。眉と眉の間に「第三の目」がある。「そうここ、じんわり熱い熱いだろ」。確かに眉の間が熱い。大人になるのは厄介なもので、あれが欲しい、これも欲しいと、左右の目で血眼になる。そうするうちに「第三の目」は退化てしまう。今、爺ちゃんに杉林が見えるのは「第三の目」のおかげで、「記憶の目」と言ってもいい。
「七歳までは神の裡」とか、「童子のうちは神の裡」とも言う諺があるのは、そういう意味だ。大人になっても「第三の目」を忘れるなという戒めなのだ。生きることに懸命なのはいいことだが、「他人さまあっての自分」…そこを観る、それが「第三の目」の役割りということだ…との教えだ。幾つになっても「神の裡の三つ目童子」で生きられるか、否か。これが祖父の遺言だが、さてはて…
笑童子工房日記
鍋倉孝二郎 1942-
私の祖父は、壮年期に失明した。若い頃は植林に励み、ちょっとした田舎の山林王。自分の山々を鮮明に記憶していて、私に手引きさせて山歩きをした。そこを右、谷川があるだろう。木橋を渡ったら右の坂を上る…まるで見えるかのように道順を指示をした。尾根に着くと、大きく育った杉の根方に座る。まるで眼下に広がる杉林が見えるかのように、その境界を指さす。
ある時、杉の根方に並んで座ると、私の眉間を指で探り、人差し指を当てて「人間はな、もともとは、三つ目なんじゃよ」。眉と眉の間に「第三の目」がある。「そうここ、じんわり熱い熱いだろ」。確かに眉の間が熱い。大人になるのは厄介なもので、あれが欲しい、これも欲しいと、左右の目で血眼になる。そうするうちに「第三の目」は退化てしまう。今、爺ちゃんに杉林が見えるのは「第三の目」のおかげで、「記憶の目」と言ってもいい。
「七歳までは神の裡」とか、「童子のうちは神の裡」とも言う諺があるのは、そういう意味だ。大人になっても「第三の目」を忘れるなという戒めなのだ。生きることに懸命なのはいいことだが、「他人さまあっての自分」…そこを観る、それが「第三の目」の役割りということだ…との教えだ。幾つになっても「神の裡の三つ目童子」で生きられるか、否か。これが祖父の遺言だが、さてはて…
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